城下町の保管庫

戦果の保管庫

【聞き取り】ある獣医の記憶

私は別に猫が好きだったわけではない。
そもそも動物全般、いや、生き物自体に興味があるような子でもなかった。
ならば何故、そのような子が現在キャットクリニックなど経営しているのか。
それには、ある女性の存在が大きく関わってくる。

私が生まれた須久奈家は、皇国の医療を担う一族として秋津の歴史にその名を刻んできた。
そんなエリート達の中で我が家の兄弟姉妹も御多分に洩れず、私だけが唯一の落ちこぼれと見做されていたが、いかにして他者を蹴落として上に行くか!須久奈たるもの、常に勝者の側であれ!そう叩き込まれて育てば、反発する人間がいても不思議ではないだろう。

私の父は子供の口答えなど、絶対に許さないタイプの人間で、寒空の下、私はよく家から締め出されていたのだが、そんな時、決まって匿ってくれたのが、隣の優しいお姉さん、織部カヤノだった。
かやちゃんはなんと言うか、とても不思議な人で、いわゆる天然と呼ばれるような人だった。
無知な年下の私から見てもズレた発言が多かったのだが、もしかすると、ズレているのは彼女ではなくこの世界の方なのではないか。不思議とそう思わせる、謎の安心感と安定感があった。
ガーデニングの達人でもある彼女は和洋折衷、ありとあらゆる植物を愛でる人だったが、いつしか迷い猫や怪我猫を保護する活動を始めており、微力ながら私もその活動を手伝っていた。

かやちゃんは、他者の痛みというものに敏感な人で、それは相手が人間以外であったとしても変わるようなものではなかった。
いたいよね?つらいよね?
時に涙を流しながら猫の応急処置をするその姿は、今でも私の脳裏に焼きついている。

獣医師である私の原点、生命に対する眼差しというものは彼女から学んだと言っても過言では無いだろう。
少なくとも、須久奈家の教えからでは無いと断言できる。
そんな彼女は月人の境遇についても自分のことのように心を痛め、何も出来なかったことを激しく後悔しているようだった。
同じ町に住む顔見知りの少年とはいえ、他人の不幸をいちいち正面から受け止めていたのでは、この世界で生きていくことなどできないだろう。
私達は大なり小なり、そこを割り切って生きている。
それでもかやちゃんというのはそういうズレた人だったのだ。

カバヤシ月人、普通なら特別親しくなっていても不思議では無かった幼馴染のその少年は、私の父の妹の息子、だったのだが、物心ついた頃にはもう付き合うなと厳しく言われていた。
月人の父親はあの雉彦を育てた有名な野球コーチだったらしいのだが、行き過ぎた熱血指導が体罰におよび、職を追われることになっていたらしい。
素振りの日課が終わらなかった児童を朝まで返さなかっただとか、スクープされたのは人としてどうかしてるようなエピソードのオンパレードで、一転、世間から袋叩きにされた叔父さんは、その後の日課を飲酒に切り替えた後も、妻子相手に素振りを続けていたらしい。

月人は子供の頃から何を考えているのか解らない感じのやつで、正直、気持ちの悪いやつだなと思っていたが、あいつがもし、再びこの町に帰ってくることがあるならば、私だけは暖かく迎えてやろう、そう思ってもいた。

時は流れ、獣医学を修めるため私もこの街を離れていたのだが、獣医師国家試験に合格したら地元へ帰り、彼女にプロポーズしようと考えていた。
そんな矢先、かやちゃんは神社のおっさんの元へ嫁いてしまった。
ショックだった。
正直寝込んだ。
ショックから茫然自失の日々を送る間にも、ジェットコースターのように彼女は身籠り、そして旅立ってしまったのだが、私が最後に彼女と交わした言葉はこうだ。
"お帰りなさいたーくん、いえ、猫さんパトロール隊員2号須久奈鷹彦殿!
この街の猫さんは、今後安心して、貴殿に任せます!"
おいおい、ふざけるなよ!
ボクは別に猫が好きだったわけじゃないぞ、
キミが…キミがいたから!
いいや?私は3度の飯より猫が好き彦!須久奈鷹彦だ!
明日、世界が滅亡するとしても。昨日、世界が滅亡していたとしても。今日ボクは猫ちゃんを診るよ。
スクナ♪キャット♪クリニック♪
ふふ……